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■三田歌舞伎2008年6月号 No.1  丹羽 敬忠会員(1962年卒)による寄稿文

御園座の藤十郎 

丹羽 敬忠

 名古屋御園座の恒例「顔見世大歌舞伎」、平成16年は鴈治郎、18年は襲名した藤十郎の名で丸本物の大作「熊谷陣屋」と「盛綱陣屋」に取り組んだ。いずれも、今でも印象が際立った舞台であったことを思い出す。その時の観劇報告を再録してみたい。
     
鴈治郎型の熊谷  
 平成16年9月、名古屋御園座で、珍しい上方、鴈治郎型の熊谷次郎直実を見ることができた。初代鴈治郎が「熊谷陣屋」の熊谷を生涯の最後に(昭和8年−1933年 歌舞伎座)独自の型で演じてから、実に71年振りの復活上演だそうである。
  以前から、「熊谷」には、対照的な芝翫型と団十郎型と二通りの型がある。芝翫型は江戸時代以来の、どちらかと言えば古い型で、原本に忠実、古風で、派手でいかにも歌舞伎、といった感じ。対して、団十郎型は、七代目団十郎が芝翫型を改良し、九代目団十郎がほぼ完成させた、やや地味ながら内面の気持ちが主体となって、ドラマとしても武士魂が前面に出た近代的な解釈がなされている。近来は、この団十郎型で演じる舞台が多い。私も芝翫型の熊谷は一度も見たことがない。文献で想像するのみである。ただ、平成15年、新橋演舞場で、中村橋之助が復活上演したという。
  ここでは主として団十郎型と上方の鴈治郎型との比較を記してみたいと思う。
  初代鴈治郎は初演以来、生涯に8回熊谷を演じている。それぞれ評判の舞台だったらしいが、中でも、大正15年(1926年)大阪中座で、義経に五代目歌右衛門、弥陀六に十一代目仁左衛門という顔合わせの公演は大当たりだったという。初代鴈治郎も、8回の「熊谷」上演のその都度工夫、改良して演じていたらしい。今回の三代目鴈治郎も、祖父以来の型を継承しているものの、また、違った解釈で、様々な、新たな工夫を試みている。

花道の出
  熊谷が敦盛(小次郎)の墓参を終え陣屋に帰ってくる花道の出。団十郎型では手首に数珠をかけて両手を袖に入れたまま腕組み、七三で数珠を出し、ちょっと拝む振りのあと突き袖で本舞台へ。今回の三代目鴈治郎は数珠は見せない、花道七三で立ち止まり、本釣と同時に突き袖でキッと思い入れ、本舞台へ進む。ただし、衣装は団十郎型の亀甲形花菱の裃である。初代鴈治郎は花道の中頃で右手の数珠をちょっと見せて直ぐ右の袖に入れるというやりかた、本舞台では下手の桜の下で数珠を頂いて袂にいれるやりかたなど、したらしい。


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